「え!?嘘だ!」
これが奈那美を身ごもった時の感想だ。嬉しくなかったわけではない。ただただ信じられなかった。
友達などに一年で子供の出来る可能性のある日は数日しかない。など聞いていたので、そういうもんなんだ。との認識だった。認識不足ではあるが、まさか一発で的中するとも思わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

【妊娠発覚】

それは台湾に来て一ヶ月ほどしか経っていない日だった。引越し荷物をやっと片付け終わったくらいの時だ。
信じられない私は妊娠検査薬を3本?4本?使った。当たり前だが結果は陽性。
行く病院も判らない。言葉なんて全く習っても勉強もしていなかったので、自分の名前すら言えない状態だった。
ので、少し放って置いた。そんなんなので、もちろん実親にも言っていなかった。

それから一ヶ月くらい経ったある日、出掛けたら”日本語の話せる医者が居る病院”リストに載っていた病院を隣に発見した。たまたま、目的地がビルだった為、どこか判らずキョロキョロして上を観ていたら奥の建物の名前が目に入ったのだ。
それならと用事を済ませ、そのまま病院に行ってみた。中国語は全く解らなくても、幸い漢字はそれなりに読める。
ので、特診というところに行ってみると日本語を話せる人なんか居やしない。仕方ない。妊娠したかもという主旨だけ伝えたら、その場で尿検査をしたり色々なことを聞かれた。それなりに答えてやっと医者に診てもらえる婦産科に連れて行ってもらえる。

その先生は日本語は話せるらしいとのことだったが、これまた・・・。話せるというより、多少の単語を知ってる程度だ。が、何とかなる。英語の話せる先生だし、筆談だって出来る。
まだ小さすぎるとのことで何も起こらず、ただ妊娠反応はある。ということのみを知っただけだった。3ヶ月になったくらいのときに初めて「おめでとうございます。妊娠しています。」との言葉をもらえたような気がする。
だが、お家に居るだけの私が中国語をわかる訳もなく5ヶ月になるまでは、名前すら呼ばれても解らなかった。

 

 

 

 

 

 

【つわりとの戦い】

3ヶ月半になるくらいには悪阻がひどく、外も家も旦那の体臭までもが絶えられなくなる。
ごはんの炊ける臭いもだめ。食べたいのはキャベツの千切り。虫のように食べてました。外に出掛けるのも耐え難く、たまに出掛けるときはずっとハンカチで鼻をふさいで。体重も激減しました。6kgくらい。これは良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ようやく安定期】

5ヶ月過ぎた頃にはつわりも全くとは言わないまでも、大分よくなり来てすぐに申し込んでいた、師範大学での中国語も始まる。
それからはただただ順調で、学校も楽しく、お友達もできるし、何も起こらず出産までのほほんとしていました。
あ、学校の前でバイクに衝突されたり、思いっきり転んだりしました。旦那と喧嘩して、臨月で家出もしました。それにも負けず、子は順調に育ってくれましたねー。

性別は別に聞かなくていいと思っていたのだが、6ヶ月かな?に急に、女の子かなー。と。先に言われてしまったので、「あー、そうですか。」と答えただけだった。
病院では3回目から特診から一般に変わり、台湾人と一緒に。
一応特診なので、通訳が付くのですが、英語に通訳されても。だって先生は英語話すし一緒じゃん。と、特診はやめました。特診高いし。順番待ちをする必要がないのは名残惜しいけど。だって、1時間待ちは普通で、ひどいと2時間なんてことも。

総合病院だったのだが、妊娠中から出産まで一人の先生が担当するらしく、産気づいた妊婦さんがいると、診察は一時中断になってしまうんです。まだ時間が掛かるかもとなると、先生も一旦診察開始して、2人くらい診てまた出産に行く。みたいな感じで。
母親学級もあこがれていたものの、言葉がわからないしいいか。でやめ。心構えだけはありました。何とかなる。って。

一応お風呂の入れ方は、出張で日本に行った旦那が子供を産んだばかりの義姉に手ほどきを受けてきました。
出産10日前に学校に行ったきり、学校は休学。

 

 

 

【破水 病院へ】

予定日の10日位前になり、夜?朝?破水して病院に。
夜中、ん!?と思ったものの眠くて眠くてそのまま就寝。朝起きて、尿漏れにしては多いような気がして、歩くとドボドボ?になり、気づきました。

ちょうど旦那は出勤前だったので、一緒に会社に出勤。
少し仕事があるというので、朝ごはんを近くのコーヒーショップに買いに行き、その途中にもドボドボ。で、スーパーでナプキンを購入して、旦那の仕事を終わるのを待ち、病院へ。
破水なので、当然入院だと思っていたので、準備をしてきたはずなのに、陣痛の時に食べようと思っていた凍らしたゼリーを忘れきたことに気づきガックリ。が、陣痛は全くなかったので、陣痛室でマッタリ。
台湾では陣痛中は何も食べてはいけないらしい。お水も少しだけならということだ。
なかなか陣痛がこないので、促進剤を。すると、すぐに弱い陣痛に。まだまだへっちゃら。旦那も横で寝てる。

先生が様子を見に来てくれて、どのくらい時間が掛かるか聞いたら10時間くらいとの返答なので、旦那は一旦会社へ。その間は陣痛は段々激痛に変わってくる。相当痛い。どっかが。見知らぬ医者が来て、陣痛の波が来た時に「無痛にする?痛くない薬いる?」と聞いてくる。ずるいよー。
途中、研修生(看護婦)が血圧を測りにきたりしたが、頼りない。電源を入れないで測れないと騒いでいる。当たり前だ。まったくもう。しかも分娩室の横工事中でかなりうるさい。
暫くして、先生が様子を見に来てくれた。旦那が居ないのを知ると、急に怒る。いつ産まれるか解らないのだから。仕事している場合じゃない。早く連れ戻せ。とかなりお怒りモード。
当時、携帯を嫌いで持っていなかったので看護婦さんに借りて電話する。暫くして旦那は戻ってきた。
台湾の病院は何処でも、携帯使ってます。いいのかなー。

 

 

 

 

 

【陣痛そして出産】

旦那が来た頃にはすでに耐えられない痛みが。いきみたくなったら言ってね。と言われていたので、いきみたくなったと看護婦さん?が来て診てくれたら「いいよ。」と。
あれ?そこからが辛いんじゃあ!?ここ陣痛室だし。と思ったがいいと言うので、いきんでみる。
陣痛の波が引いて分娩室へ。いきむっていっても、母親学級に行っていない私にはどうしたらいいか全く解らない。
「うーうー。」してたら、ゴッツイ体のおばちゃんが、まさにドスンドスンと腕を組んで現れた。と、私のお腹を体重乗せてドスンドスン?ぐいぐい?押す押す。
陣痛よりそっちのほうが痛くて痛くて、おばちゃんを払いのけたら、「あなたのこと手伝ってあげてんでしょー!」(多分)みたいなこと言われ、仕方なくグイグイしたままに。
そんな中、いつの間にやら消えてた旦那が「純ちゃんガンバレー!」と中学生のようなノー天気な声援を。いつのまにか分娩室にいて、ビデオをまわしてる。
いきんで何回目だろう?5回目くらいに、チュル。っと。ノー天気な旦那はノー天気な声で「頭出てきたよー。」と。頭出てきてることさえ判らなかった私は、そうなんだー。と思いながら聞いていた。

それはそれは短い出産だった。あっという間だった。
あっけなかった。あれ!?って感じで感動どころか。終わり?でした。
奥ではガラガラのハスキーな声の産声も聞こえてきた。
どれもこれも想像と違う。あかちゃんは透き通る声で「おぎゃー!」でしょ。
暫くして子供を抱っこさせてくれたが、縫っている途中で痛くて痛くてそれ所ではなかった。
私もウルウルして、旦那もウルウルしてありがとう。と期待してたのに、それもなかった。
2600gの小さめの女の子でした。

 

 

 

 

 

【出産してすぐ】

縫い終わってすぐ、陣痛室に戻されそこでゆっくり。家族や友達に出産報告の電話をしたりした。
入院中は日本のように、お風呂の入れ方を教えてくれたりなどは一切なく、3時間ごとに赤ちゃんを連れてこられ、授乳。
抱っこしていたい人はそんまま。寝たい人はあかちゃんを旦那さんが返しにいく。

台湾人の旦那さんは奥さんと一緒にお泊りしていくのは普通らしい。
おかげでお隣の旦那さんのいびきが非常にうるさかった。
でも優しいね。奥さんは寝たまま何もせず、旦那がやってくれるのだ。
当然ウチの旦那は泊まらず。食事も病院で頼んでも、自分で買いに行っても、家族が持ってきてもなんでもいい。
台湾食をずっとはどうかなー。なので、病院には頼まず旦那に買ってきてもらう。夜は次の日の朝ごはんも一緒に買ってきてくれた。

産んだ日を含め3日の入院で退院。短くてよかった。病院にずっと居るほうが疲れる。
そんな感じの超スピード出産でした。
日本で出産しようとは一度も思わなかった。だからといって台湾で出産した理由もない。ただ、親より旦那の方が何でも頼みやすい。それだけである。
不安という感情に欠けてる私は不安と思ったことも無かった。旦那もその感情は欠けているらしく、今現在でも私を心配したことはあまりないらしい。のほほんとしているのは一番いいらしい。身にも心にも。

 

 

 

 

【成長】

その時産まれた娘は奈那美と名づけられ、元気に育ってくれています。標準を知らないけど、多分どれもこれも標準にはなってると思われる。
奈那美は何もかも成長が早かった。これには参った。二ヶ月で出生体重の倍に。寝返りは3ヶ月で多分普通。
ハイハイはせず、四つんばいに5ヶ月。6ヶ月ではつかまり立ち。7ヶ月では伝い歩き。8ヶ月では4歩いた。
それからはゆっくりで1歳直前まではトコトコはしなかった。もっともっとゆっくりで良かった。体が出来てからの方が安心して見ていられそうだったから。
その代わり、歯が生えるのは相当遅く、1歳2ヶ月を過ぎてからだ。相当遅い。1歳半を過ぎた今でも上4本下3本と少ない。多分。